2012-04-01から1ヶ月間の記事一覧
我々は各人さまざまの知識を持っています。たとえば学校で学んだもの、知り合いとの交流から学んだものなどと、色んな知識が蓄積されている訳です。しかし『我々人間がどのように知識を持っているのか?』という問題について、他者が抱いている知識状態に限…
【学習性無力感】長期にわたってストレス回避の困難な環境に置かれた人は、その状況から逃れようとする努力すら行わなくなること。 【ポジティブ性無力感】長期にわたってポジティブ心理学からの回避が困難な環境に置かれた人は、そのポジティブ心理学から逃…
前回 (7)、前々回 (6) と、ハイエクが二つの自由観に触れ消極的自由観の側を採用した点について述べてきましたが、私もそれに賛同します。私が積極的自由観を採用しない理由としましては、それぞれ個人が自由の力を出し合う場を社会と前提しながら、ただひた…
オーストリア学派のメンガーやシュンペーターが経済学を独立的に体系化しようとしたことにたいして、ハイエクは再び歴史主義の領域を若干でも回復しようと、ルッジェロ、バーリンが示した二つの自由観を取り入れました。そこで私が思う【二つの自由観】につ…
前回は後進資本主義のドイツで生じたマルクスの理論が、イギリスの社会契約論的考え方を追いやりつつ、労働者側の立場から見た資本使用者の【搾取】を示していたことについて述べてみました。しかしその労使間の【搾取】(1867?) を強調しすぎたマルクス主義…
社会学派の私にはちょいと難しいのだが、経済学には【剰余価値】という概念があるらしい。それはマルクスの名を通して聞いたことがある言葉なのだが、調べによると、すでにイギリスのアダム・スミスやリカードらによって触れられていたものでもあるらしい。し…
さてマキャベリのイタリアをドイツと比べますと、ルターのような内面信仰へ向かうプロテスタント精神はなかったように思えます。それはまるで、幾ら内面を鍛えたところで目まぐるしい降りかかってくる世俗的な外圧にたいしては意味がないと考えてなのでしょ…
イタリアのマキャベリ (1469-1527) とドイツのルター (1482-1546) は、ほぼ同時期に生存した二人である。まずルターが教皇レオ10世の免罪符販売を問題にしたことは教科書的な世界史レベルでも広く知れ渡っている事柄でありますが、そこでマキャベリズムを無…
さてウェーバーの 「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」 を基調として資本主義起源論を追求していこうと思っていたわけでありましたが、そもそも 『資本主義』という日本語における概念自体が、何か欧米とは異なった方向に向いている感じがするので…
M.ウェーバーの名著として知られている 「ブロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」1905 から、資本主義についての考察をしたいと思います。まずは当書の私的概要を説明を試みるために、目次について記しておきましょう。 第一章 問題の提起一) 信仰と社…