資本主義起源論(4) 〜国家理性と社会契約〜

さてマキャベリのイタリアをドイツと比べますと、ルターのような内面信仰へ向かうプロテスタント精神はなかったように思えます。それはまるで、幾ら内面を鍛えたところで目まぐるしい降りかかってくる世俗的な外圧にたいしては意味がないと考えてなのでしょうか、マキャベリズム的な策略を施してまでも世俗と関わり続けようとするイタリアに思えるのであります。

しかしマキャベリズムにたいしては伝統的なカトリック的信仰も残余していたイタリアであったため、悪い国家理性と良い国家理性という題目で議論されるようになった17世紀前半のイタリアだったと考えられましょう。まさに伝統的カトリック理念と新規マキャベリズムとの調整役に【公共の福祉】が持ち上がってきた感じであります。

一方のルター派のドイツについてもイタリアの影響があってか、遅れること17世紀中頃に相当する三十年戦争 (1618-1648) の終盤から国家理性論が話題にのぼり始めたと、マイネッケの 「近代史における国家理性の理念」1924 は伝えています。



そうした国家理性論がイタリアやドイツで話題になっていた頃、やがて近代資本主義の先導役となる17世紀のイギリスでは、市民革命やイングランドスコットランドによる国家統一化へと向かう時期に相当しています。全くイタリアやドイツの国家統一が日本の明治維新と時期を等しくする19世紀の後半でありましたが、当のイギリスではコモンウェルスの理念が広く共有されながら国家統一が進められていたと想像できましょう。

なるほどイタリアやドイツで国家理性論が広まることで国家的利権の必要性を意識し始めていた感じもいたしますが、しかし裏を返せば、それは市民レベルの共有化までにはいたらなかったものであったり、あるいはイギリスのように国家理性の政治的な内実議論ではなく、ただ国家理性の思索的な外輪吟味に終始していた結果と判断せざるおえない感じなのであります。



さらにイギリスにおけるイタリアやドイツを含めた他国との特異性をあげるならば、それは17世紀の社会契約論がありましょう。その社会契約論が果たした効果とは、国家理性を用いる権限発信地についての評価意識の育成であったと言えます。

確かにホッブズの【各人の各人にたいする争い】という自然状態を回避するため、各人が権限と契約したという社会観もありましょうが、すでにイングランドではヘンリー八世の首長令 (1534) やエリザベス女王の統一令 (1556) によるローマ・カトリック教会からの離反がなされていたのでありまして、漠然ながらも権限を評価する意識が浸透していた点について充分に考慮する必要があります。

ルターなどプロテスタント勢力一般に見られる聖書中心主義とは、古くはイングランドウィクリフ (1320-1384) についても認められる特質であります。それは国家的統治権威を示さなかった異民族ユダヤ人の教典を基礎原理にすることによって同族内での自作自演的な君臨性を回避したのであり、リアルタイムの人間同士にたいしては平等なる聖書解釈の権限を保証した上で、各人の自由なお気に入り教派との契約へと広げようとした活動――― 「リヴァイアサン」1651 第47章を参照のこと―――だったと言えます。

すれば17世紀のイタリアやドイツの国家理性論では、ただ権限を有する国家理性の波及効果に触れただけであって、一方のイギリスの社会契約論で示唆されるであろう、国家理性の権限自体が人々の契約によって支えられている点、また幾つかの国家理性の中から選択的に人々が契約を移し替えれる可能性を示した点、この二点についてまでは踏み込んでいなかったと言わざるおえません。

ホッブズ自身が意図していたかは定かではないが、多数の小人が寄り集まった大きな一人の【リヴァイアサン】とは、庶民の我々から見える国家権力だけを意味しません。それは権限を持った人々からも見えるリヴァイアサンでもあります。

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以上のように17世紀のイタリア、ドイツ、イギリスの比較からイギリスの特異性に近代資本主義の特質を求めていくことによって、その前後関係の世界史を解釈してゆくことにも大変有効となるでしょう。ウェーバーと同時期にドイツを過ごし、そして彼の死後に出版されたマイネッケの 「近代史における国家理性の理念」 とは、他にフランスの状況も参考になる興味深い著書に相当しています。

最後に 「リヴァイアサン」 第47章に、カトリック教会からイギリス国教会が独立する根拠になったと思われる問いかけを記しておきましょう。

Cui bono?

利益は誰に?



続く……