資本主義起源論(2) 〜起源時と浸透後〜

さてウェーバーの 「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」 を基調として資本主義起源論を追求していこうと思っていたわけでありましたが、そもそも 『資本主義』という日本語における概念自体が、何か欧米とは異なった方向に向いている感じがするのであります。

と言いますのも、資本主義とは英語で capitalism なのであります。普及するまでの細かい意味合いは別問題として今日の capital に 「首都・大文字」 の意味が含まれていること察しますと、欧米では全体内の【部分的な指導部】を中心とする体制主義の雰囲気にあるが伺えます。またアメリカの国会議事堂が Capitol と呼ばれていること、あるいは 「キャプテン・指導者」 を意味する captain も語源を等しくしていることから、あながち間違いではないでしょう。しかし日本語の 「資本主義」 の場合には、各人それぞれの資本所有の流れを見ようとする、あからさまな経済中心的命名となっているのです。

逆に英語で共産主義を表記しますと 「コミュニケーション」 と同類である communism でありまして、そのため資本主義については "コミュニケーションの不足" をイメージさせる仕組みになっているのであります。要するに資本主義の指導階級側のコミュニケーション不足について、それが【多数の人々にとって難解な事柄のため】なのか、あるいは【指導権確保にいたるまでの知識財産保護のため】なのかが問題となるわけです。

ところが日本語の 「資本主義」 という表現では、コミュニケーションの不足 (労使関係などを含めた情報公開) が議論の焦点になりえず、むしろコミュニケーション不足は暗黙の当然事と見なす匿名大多数に支えられ、問題が大きくなってから一部の専門家による情報公開要求により、少しずつ小出しに広げられるのが常なのであります。

このように日本語における資本主義についてのイメージは、欧米におけるイメージとは異なっているだろうことが察せられます。もし日本語を欧米のイメージに近づけようと思うのならば、「父親は一家の大黒柱」 と言われていたことを参考にして【大黒主義】もしくは【大柱主義】と命名した方が、あからさまな経済中心性ではなく、部分的な指導体制による経済状況を示す表現となりえましょう。(明治維新後の状況で 「大黒主義」 と命名してしまっては、伝統的家父長制と意味が重なってしまうため、避けられたのも仕方がなかったと言えます。)



そうした事情を考慮しますと、ウェーバーが説明していた 「資本主義の精神」 も、若干ちがったイメージに映ってくることでしょう。 「資本主義」 ではなく 「大柱主義」 という雰囲気が残されたドイツ語 Kapitalism なのであります。

ところが日本語の 「資本」 と 「禁欲」 の雰囲気によりますと、まるで資本主義の精神が【資本 (金や設備や労働力) の蓄えのための禁欲】であったかのように捉えがちとなりますが、そうではなく、免罪符の売買などのような伝統的な小手先生産意識にたいする禁欲―――大勢マジョリティにおける平安の輪からの離反―――であって、そこから【新たな生産体制への人脈づくり】にいたる動きの方に資本主義の起源的な精神が求められているのです。

ウェーバーが 「支配の社会学」 にて【合法的支配】【伝統的支配】【カリスマ的支配】と三つの分類したのも、そうした免罪符販売に伝統的支配を見ながら、かつ新たな資本主義体制の始まりに "合法的同意による労使関係" や "指導的立場にカリスマ性 (合法的同意ではない信頼) を置く主従契約" の発生を重ねた結果と思われます。

実際 「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」 の第二章 「世俗内的禁欲の宗教的基礎」 で繰り返されているとおり、バニヤンに見られる【組織的な闘争】やカルヴァン派の【神の栄光の増大】を基礎とした【合理的な社会組織化】の理念が資本主義体制の起源に大きな比重を置かれているのです。


おそらくウェーバーが 「プロテスタンティズムの倫理」 を記した心情としましては、後進資本主義の立場にあるドイツの指導権獲得の状況が、すでに浸透した後のイギリスにおけるマキャベリズム的指導体制のみを模倣している点を危惧したために、もともとの資本主義体制の起源について示そうとしたのではないかとも思えるのです。

日独伊による1937年の防共協定や1940年の三国軍事同盟とは、そうした先進資本主義体制 (米英仏) を模倣した側 (日独伊) の指導階級意識による結果と見なせるでしょう。実際のところ、起源時の意識と浸透後の意識とには大きな隔たりがあるものであり、たとえば突如有名になった人々たちが後々口を揃えて語られる 「世の中のズレた期待」 に、もともとの起源意図と大勢的浸透の間に見られる意識の相違が察せられます。

資本主義の起源における精神についても全く同じ事情に相当します。ウェーバーが問題としたのは、まだ参考しうる現状モデルがない状態からの資本主義精神の発生でありまして、すでに興隆状況が確認できた後の模倣精神と区別する必要があるでしょう。

明らかにイタリアのチョンピの乱 (1378-1382) においては、規模の小さい組合なり同盟による利権闘争が大きく関わっており、資本主義精神の連携には至っていません。近代資本主義にいたるには、従来の利権意識による同意ではなく、もっと新たな理念 (精神) による連携同意が必要条件であったと考えられるわけです。



やはり初期の資本主義精神とは指導側の新たなマキャベリズム的な被支配者操作ではなく、たとえばイギリスのクロムウェルのような伝統的権限と争った宗教的理念にあったと言えます。もし局所的なマキャベリズム的指導体制に資本主義の起源があったとするならば、たとえ一時的に一部の被支配者に効き目があったとしても、結局は伝統的支配の権限者たちや多数の被支配者たちの双方に嫌悪され、抑え込まれてしまったことでしょう。

繰り返すとおり、単なる【禁欲】や【勤勉】による貯蓄 (資本) の準備だけではなく、現状の免罪符販売にたいする抵抗 (プロテスト) からの新たな職業ビジョンの共有が資本主義の発生に必要であったと言えます。

たとえばクロムウェルの時代の航海条例 (1651) では、海外にたいしては自国を囲い込む形となりましたが、国内においては国益のための職業間連携や階層化を共有化するきっかけになったと予想されます。ウェーバーも記しているとおり、クロムウェルは 「すべての職業の濫用を改革するよう勧告する。もし少数者を富ますために多数者を貧困にする者があるならば、それはコモンウェルスにとって相応しからぬことである」 という書簡をおくっていたようであります。

そしてウェーバーが参考した三点、ミルトン 「失楽園」1667 、バニヤン天路歴程」1684 、デフォー 「ロビンソン・クルーソー」1719 については、クロムウェル共和政より後の書物ですから、すでに資本主義精神が浸透しつつあった中での意識化共有の効果をもったものと言えます。



おそらくウェーバーは、はじめから資本主義社会の究明に集中して 「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」 を記したわけではなく、あくまでも世界史全体の一つの現象として資本主義を見ていたのでしょう。

彼の 「都市」 ―――中央公論社の世界の名著シリーズで部分的な邦訳あり――― で説明がなされている【イタリアのコンユラーティオ】と【北方ゲルマンの兄弟盟約】の比較とは、まさしく資本主義の発生がイタリア・ルネサンスではなくイギリスからであったことの穴埋め作業であり、「支配の社会学」 にしても歴史学的な適用を視座に入れていた論文と見なすのが妥当です。

あと気になる点と言えば、ドイツではローマ法の進出がなされたのにたいしてイギリスでは抵抗する弁護士組合によりローマ法の侵入を阻止した点について、再三 「プロテスタンティズムの倫理」 を含め 「支配の社会学」 や 「新秩序ドイツの議会と政府」 の注釈で触れられていることがあげられます。



続く……