インド史の中の仏教

現代日本の大半を占める平安二宗と鎌倉四宗の仏教界において、六宗全体を二分するわけではないが阿弥陀と盧遮那仏の二つの系統に分かれている。

その分立した阿弥陀仏と盧遮那仏の史的経過は、中継地に相当する中国の仏教史の段階ならばまだわかりやすいが、遡ること本家本元のインドにおける発祥状況となるとかなり曖昧な領域が広くなり、多くの推測を立てながら精査する必要がありそうだ。


そもそも仏教の発祥地インドだとしても、決してインドが仏教国なのではない。すでに仏教が発生した時点で先行していた世界観が広がっていたインドなのだ。自分たちの慣習的世界観から外来ものとして仏教を見ていた中国や日本にたいして、インドでも自分たちの慣習的世界観から目新しいものとして仏教を眺めながら広がり始めたのである。

確かに阿弥陀仏と盧遮那仏においては世界観(世界解釈の思考パターン)の相違が認められ、必ずしもインド、中国、日本とそれぞれの地域で等しい対比状態を保っているとは言えない(対立軸の地域性および歴史性)が、その対比の普及を一時期でも保持した点で分立変化の地域性を包含する共通文化圏の仲間とみなせるでしょう。

繰り返すこと、本家本元のインド自体の中にもそれぞれの地域性があり、それぞれ阿弥陀仏と盧遮那仏の発祥直前(大乗仏教以前)におけるインドの地域性に注意する必要があります。すでにウパニシャッドの中でも最古期に相当するブッダ以前のブリハド・アーランヤカ・ウパニシャッドやチャーンドーギヤ・ウパニシャッドなどで梵我一如が生じていたインドであり、大乗仏教からの菩薩、法身にまつわる盧遮那仏への影響の有無も気にならざるを得ません。(一方の阿弥陀仏には一神教的かつ汎神論的な包括的梵の役割が認められない)