隋の三大法師と平安仏教


秦の統一(前221)から約八百年後の六世紀末に再統一を果たした隋の時代、三大法師と呼ばれる天台宗の智ギ、三論宗の吉蔵、地論宗の慧遠がいらっしゃったそうであります。

そんな中国の仏教情勢にたいして日本では、南都六宗に属する三論宗地論宗華厳宗)が先行導入され、遅れること平安初期になってから天台宗の拠点が築かれており、やがて天台宗から派生した鎌倉仏教を含めて現代日本の仏教情勢の大半を占めることになりました。

そして日本天台宗最澄)の始まりは、同じく平安仏教である真言密教空海)と共に、道鏡皇位介入問題にたいする反省に基づいた桓武天皇和気氏の要請が深く関係していたようで、法華一乗による大乗化の中で円密禅律の四宗合一の総合性を特徴に有していたと要約できましょう。

もともとの中国天台宗の場合はと言いますと、竺道生(355-434)による唯識・般若から法華・涅槃への雰囲気などに支えられながら華南側の智ギ(538-597)によって確立された感じのようです。(他方の真言宗空海は北部側で密教を学んだ)