北方真言宗と南方天台宗


平安仏教の北方真言宗と南方天台宗比叡山が北で高野山が南であるため何やら南北関係が逆になっていると思われるかも知れないが、ここで問題とされるのは中国の北方長安青龍寺で学んだ真言宗空海と南方天台山で学んだ天台宗最澄を意味する。

九世紀初頭の唐の時代に先行すること、五、六世紀の頃は南三家北七家にあり、南方では涅槃経、北方では華厳経が重要視されていた傾向にあったとも言われているらしい。


さて現在も続いている日本の鎌倉諸仏教はおおよそ比叡山天台宗の雰囲気の中から分派した感じであるが、それも隋の再統一へ向かう六世紀の中国情勢に多少なりとも依拠し、北方中国の影響を受けた空海真言宗との違いにも注意する必要があろう。

なお朝鮮半島における天台宗は高麗時代の十一世紀末の国清寺(1097)から始まっていることから時期的にも日本とは三百年近く離れ、分派の拠点となる本家的な総合大学のような役割を担わなかったようである。(やがて教宗と禅宗の分類の中、後者禅宗に属することになった高麗天台宗でもある)