ジョージ・ソロス『再帰性』と心理学の構造


ジョージ・ソロスの『再帰性』は投資の分野に限らず、心理学や社会学に応用できる現実解釈の図式を持つ。彼の記号的表記によると、次のように表すらしい。


W:現実世界
U:世界解釈
FC:認識機能
FM:操作機能

FC(W) → U ………(1)
FM(U) → W ………(2)


現実世界について認識する個人が状況解釈することを表したのが(1)式であり、その状況解釈に基づいて個人が世界へ働きかけた現実世界の結果を表したのが(2)式である。

そこで(1)式の左辺を(2)式のUへ代入し、(2)式の左辺を(1)式のWへ代入すると


FM[FC(W)] → W ………(3)
FC[FM(U)] → U ………(4)


となり、(3)式はWの再帰を表し、(4)式はUの再帰を表した形と言える。つまり『世界を認識し操作する個人が社会的現実を成り立たせている状況』を示したのが(3)であり、『解釈に基づいて操作した結果を再認識して行く状況』を示したのか(4)である。

そう、『イノベージョン』の意識には(3)と(4)の二種類あることになるのだ。(4)の場合は、理解に基づいて操作し、その社会的結果を認識して新たな理解をすると言ったように理解中心にイノベージョンが繰り返されるのである。またそれは分業社会の一部に囲まれているため、下手をすれば部分的イノベージョンに集中し過ぎたガラバゴス化の可能性を秘めてしまっている。

一方(3)の場合は、世界認識に基づいて理解し、その操作結果が新たな現実世界に残されていくと言った繰り返しなのである。そして(4)の自己理解中心か、(3)の現実世界中心かの違いは、無神論の日本人と一神教ユダヤ人と言った大まかな相違にも関係していると言っておこう。

ただしソロスのW(現実世界)にも、『不確実性』が踏まえられている点を忘れてはならない。カントの哲学で言うならば、それは『物自体』あるいは『事自体』である。あるいは客観的Wと主観的Uの関係と言い換えてみるのもよいかも知れない。

だがソロスの客観的な事自体Wは、我々が使う客観的とは異なる。我々が用いているのは自らの専門分野を演出して部外者の恐縮を狙う内容を公開しない客観的であるか、あるいは支持者集め(先取り根回し)に客観的を演出する傾向に彩られているのである。



では堀江貴文粉飾決算村上世彰インサイダー取引とジョージ・ソロスの投資とでは、一体何が異なっているのか?

ソロスは再帰性を利用した投資家君臨を目指していたわけではなく、再帰性の現実認識を示すために投資家という一つの方法を選んだ形であった。そもそも投資家君臨が第一目標ならば再帰性理論を公表する必要がなかったと考えるべきであり、むしろ再帰性理論を示すために現行投資家たちや哲学者たちへ問題提起を残したかったためと見るべきであろう。

ソロスはフリードマン新自由主義の側にはない。新自由主義のインテリ思考にたいする挑戦であり、ソロスも自らが好む方法と自覚した上ではあるが、投資による利益を税金徴収と考え、慈善事業へ予算配分する『国境なき政治家』の気持ちなのだ。現行のインテリ階級は自分たちの不可知性は仕方がないと互いに守りながら一般階級に尻を拭かせていることにたいして、ロビン・フッドやネズミ小僧やルパン三世的な方法で税金徴収をし、慈善事業へと予算を配分する選挙なき投資政治家というわけである。



繰り返すこと、ソロスの『再帰性』は金融投資に限ったことではない。

FC(W) → U ………(1)
FM(U) → W ………(2)

に『人間』と『心理学』を当てはめてみれば

FC(人間) → 心理学 ………(1)
FM(心理学) → 人間 ………(2)

となる。

心理学者たちは(1)を主張して自らの理論を守り、影で(2)の作用を行いながら人間を管理しているのだ。つまり大切な非公開なる(2)の作用を守るため、公開する勢力が一日も長く入り込まないように自分たちに有利に働くような(1)の主張ばかりを繰り返すのである。

全く心理学の再帰性が明らかになれば、ソロスが考えていたことも少しはわかってくるであろうし、逆に心理学の再帰性が明るみになるためにソロスを学ぶのも一つの方法ではあろう。



FM[FC(人間)] → 人間 ………(3)
FC[FM(心理学)] → 心理学 ………(4)

タコツボ化された心理学者たちの自ら囲った領域内で非公開に繰り返している操作が(4)である。そして心理学者たちが社会へ影響を与えているところの実態を表しているのが(3)となる。

いずれ心理学の社会的再帰性理論が言葉の障害物競争の実態を明らかにする時代が来るのだろうが、現時点では明らかにされては困るために再帰性利権を守るための操作が繰り返されているのである。

これ名付けること、『現実と現実観のハウリング』とする。