【概要】古典的日本語体系の原型に迫るための展望【試論】


まずは現代の日本語体系からの考察として『広い』を調べる。


『広い』『丸い』
形容詞 終止形

『広まる』『丸まる』
動詞 五段活用 終止形

『広める』『丸める』
動詞 下一段活用 終止形

『広がる』『丸がる』
動詞 五段活用 終止形

『広げる』『丸げる』
動詞 下一段活用 終止形


次に各動詞の名詞化を行うと、下記のようになる。


『広まり』『丸まり』

『広め』『丸め』

『広がり』『丸がり』

『広げ』『丸げ』


かなり強引な語彙の表現もあろうと思われようが、ひとまずは現代日本語の体系で可能な表現と認めていただきたい。

すると動詞終止形とその名詞化の対応に一定の関係が浮き彫りとなり、五段活用の最終『-る』には動詞終止形ウ段と名詞化イ段の対応関係があるのにたいして、下一段活用の場合は古典下二段活用の『広む』や『広ぐ』の場合は動詞終止形ウ段と名詞化エ段に対応性があるのだ。

このような仮定からは次に何が導かれるかと言いますと、『広まる』のア段『-ま-』とは、『広む』の動詞ウ段と『広め』の名詞化エ段が関係しているのと同等の領域内で、何らかの意味を有するア段として位置づけられていると考えられるわけです。(『広がる』のア段『-が-』も同様)

ひとまず『広ぐ』の関連性を含めるために『広む』を例にとってみましたが、エ段名詞化『広め』に若干意味的に異様さが残されて分かりづらい感じもしないわけでもありません。ですからそこは『集む』『集め』『集まる』に置き換えて頂ければより分かりやすくなろうかと思われ、現代における動詞『集める』が先行するエ段名詞化『集め』を基調として派生しているのに比べ、動詞『集まる』はイ段名詞化『集まり』と同領域内の両対応性を保っていると考えらます。



さて今度は動詞のウ段終止からの名詞化が一般的にイ段終止となるのが基本であるのにたいして、古典下二段活用についてはエ段終止の名詞化となる点に注意しておきましょう。

やはりイ段名詞化とは異なった意味合いを含んでいるエ段名詞化と考えるのが当然であって、それはおおよそ古典下一段活用『蹴る』に似た【外部にたいする反作用】のようなイメージにありましょう。それに比べて通常のイ段名詞化の場合は、もっと単純な動作の命名化となる【外部状態の観察】に相当します。

そうしますと現在形『集める』とは『集む』の名詞化『集め』にたいして『-る』が付加した形に相当し、そして過去形『集めた』も同じ名詞化された『集め』を基幹として『-た』が付加した形と言えましょう。

一方、動詞『集まる』の場合は名詞『集まり』と対応した形でありますが、名詞形『集まり』にたいして現在形『集まり-る』と過去形『集まり-た』が対応している形にはありません。そのため『集まりた』が音便化して『集まった』という過去形が生じることになっていると考えられるわけです。



あるいは下一段活用に限らず、上一段の『起きた』と五段活用の『置いた』の違いに注意してみても、現代の『起き-る』に至った事情と深く関係していましょう。

おそらく『起きた』には、『起き居た』に由来する日本語体系に支えられてきたのである。古語には『起き居る』『落ち居る』『降り居る』の表現が認められていたように、古典上一段の『居 (ゐ) る』の連用形が古典上二段の連用形の基礎となっていたと考えられるのだ。

しかし連用形『置き』の『き』には全く『居る』の意味はなく、語幹に直接続く一定体系内の母音変化に過ぎません。つまり動詞の複合化の『起き-居た』に由来するために『起きた』は音便化とならず、『置き-た』の過去形の場合は名詞化された『置き』にたいして動詞が後続しないために音便化するのであろう。

さらに加えて否定形『起きない』と『置かない』の違いにしても、やはり『居る』と関係しているのだろう。まさに『起きる』の未然形がイ段となるのは、『居る』が投影された古典日本語体系からの帰結なのであり、一方の『置く』の未然形ア段は基礎的な母音変化体系に由来するのである。

【最重要事項】

また上代特殊仮名遣いにおけるイ段甲乙の分類区分に注目してみますと、四段活用と上一段活用のイ段が甲類で占められているのにたいして、上二段活用のイ段の場合は乙類であります。それは『居 (ゐ) 』が投影された結果と考えられる乙類であり、『起きる』『落ちる』『降りる』にはそれぞれ『okuiru』『ochuiru』『oruiru』の雰囲気も有しているのかも知れません。逆に言えば上代特殊仮名遣いのイ段乙類に『w化』の特質が含まれていることも同時に意味していることになりましょう。実際、乙類の仮名『未』『微』は漢和辞典では『wei』にあり、甲類の『美』『弥』は『mi』である。