『40−32÷2=4!』の社会学 〜問題作成者の気持ち〜

問題『40−32÷2=?』

小学生『4!』

理系『よくわかってんじゃん?』

文系『やっぱ小学生では、わからなかったか〜w』




何かネットで話題になってた問題らしいけど、なかなか作成者した人物も世の中、洞察しているね。

数学的に『4!』は階乗を意味する『4×3×2×1=24』であるから、『32÷2=16』、『40−16=24』で答えは合ってる形だ。

逆に言えば、小学生が『40−32=8』、『8÷2=4』と考えただろうと思わせるように、前もって計算して作られた問題だったことになる。



つまり問題作成者がこういう問題を作ったと言うことは、人々が【自分で思い込んだ領域の中で、相手の判断が間違っていると思い込む】という現実状況を洞察していたからである。

たとえてみれば、文系の人が【現状メジャー論理】に当てはまり、理系の人が【開拓マイナー論理】の人々って感じかな?

しかしこんなことを書くと『えらそうに』と思われちゃうから、これまた大変さ。だから世間的に役立てたいと思うのならば、ひとまずは大多数のメジャー論理に『凄い』って騒がれるように知っている知識を使わないと残念ってことになるね。





ともかく知ってる側からしてみれば、自分が示した意見について下す人々の判断がズレた領域で行われているのがわかるんだけど、一方の人々は内容を吟味することなく自分の論理で他者を判断することしか出来ないから、いつまでたっても、とぼけた心理学や成功哲学やらが入れ替わり立ち替わり登場してくる世の中なんだろうね。

だから幾ら知っていることがあったとしても、今じゃ同士を見つけるのが大変ばかりか、むしろ『プレゼン力』とか『伝え方評論家』っていう雰囲気の方々が近寄って来ちゃうだろうから、自らもメジャー論理に溶け込んで、とぼけながら暮らすしかないって感じになるのかな。

ほんま、とぼけた心理学者や社会学者たちは気楽で羨ましいね。言論の自由のもと、自分の論理でつぶやいていれば足りるんだから、へ・へ・へ。

いつまでたっても、内容よりメディアにお呼ばれされる『プレゼン力』が大事なんでしょう。

万が一、わかる人物らが台頭してきたら、『想定外』だったと原発推進勢力のように語ればよいだろうから、なかなか笑える言論の自由かな。(裏を返せば、従来の原発推進派のように、人々の無知やうっかりを利用したプレゼン力を見習うのが賢い。)

もはや公正性の吟味じゃなくて、役立つ自家製の公正性によって誰かの不公正是正を演出捏造するのが、いやはや心理学者や社会学者のお仕事でありましょう。

まさに特定利権者たちに支えられる意見の作り方が、彼らの才能である。



ところで、いくら問題作成者の気持ちがわかったところで、たいして役にも立ちませんでしたね。

ただネット上の反応によって、人さまざまであるがゆえに生じる社会的現実の縮図が、そっと確認できただけかな?


あしからず。

不和の林檎のエリス様。