日本語のヘブライ語接触説(4) 〜『来ない』の分布〜

ではタミル人とヘブライ人の双方が日本に渡来し、一定の影響を日本語に残したという前提で話を進める。

まず中央集権体制がそれほど進んでいなかった日本であったろうことから渡来人の影響は地域的に偏っていたと考えられ、仮に中央集権が進んでいたとしても程度が縮小されながらもやはり地域的偏差が生じていたことでしょう。

問題は渡来事実の証明ではなく、渡来を事実と仮定した上での渡来結果の考察である。もし彼らが渡来して日本に影響を残したとするならば、渡来によって地域的な偏差も影響を受けたこととなり、渡来後の地域間の衝突などに何らかの渡来による地域偏差の痕跡が残されていることになろう。

一説によると長野県の諏訪大社には縄文文化の保守維持を貫いていたと思われる過去の痕跡があるらしく、かつ先行鉄器文化の痕跡もあるらしいのだが、その痕跡らにヘブライ人の渡来を結び付けて考えると、さらに色々な想定しうる事柄も見えてくるだろう。

たとえば日本書紀の巻第七に記されているところによると、西方熊襲の平定と東方蝦夷の平定の後も信濃国と越国は未だ従わずとあるが、そこに諏訪大社の保守体制の名残(諏訪大社が主導している現行保守体制ではなく、過去の諏訪神社圏における保守体制の名残)が推測されるかも知れないし、あるいは「来ない」を「きない」と発する群馬や埼玉地域の方言を後発的な文法解釈の地域的適用であったと位置付けながら、それを渡来人によって引き起こされた大昔の地域的偏差に由来するところの派生的な一つの結果として探求しうるのかも知れません。