現象学と言語学

現象学言語学の関係とは、奇妙である。色々な設定された無自覚な枠組みの前提を基準としながら、ものごとをあれこれ解釈している現状にたいして、現象学はその無自覚な前提を反省する意味で、何か新しい方法を模索していたようなものである。すれば現象学には、現状の言語学についても同様に何らかの反省を求める方法が含まれていても、おかしくはないだろう。

さっそく一つの方向性を示したいと思うのだが、それはフッサール(1859-1938)が用いた 「ノエマ noema」(思考された内容) と 「ノエシス noesis」(思考の働き) である。この二つの対になった用語には、確かに現象学言語学の一つの橋渡しが認められるのだ。つまりフッサールギリシャ語の [-ma] と [-sis] の関係を示した形にあるが、そこで現代英語に残されている古代ギリシャ語に由来する語を、簡単ではあるが手持ちの英和辞典から拾って考えてみたい。

charisma カリスマ
diagrama 図表
dogma 教義、学説
drama ドラマ
kinema 映画、運動
programa 予定表
schema 輪郭
stigma 刻印
systema システム
trauma トラウマ、傷跡

analysis 分析
catharsis 浄化
diagnosis 判断、診断
genesis 創造
prognosis 予測
neurosis 神経症
synopsis あらすじ
synthesis 総合

いやはや、挙げてみた語尾 -ma と -sis がすべて同義にあるのかは全く定かでないまま話を進めることになるが、さっと見た感じ、これらの語彙には -ma、-sis の対応関係はかなり薄く、片方に偏って用いられているようです。たとえばカリスマには、対応するカリスマを作る作用としての charis−sis という語彙(そういう造語化が可能なのかは知らないが)がありませんし、分析作用の後に作られた分析結果を意味する analy-ma のような語彙がないのです。特に精神分析なる語法によって彼ら専門家領域の囲い込みに寄与しえたのも、そうした言葉の偏った一面性が強調されていた文化背景があったからと思われるのです。もし対応する analyma のような語彙があったのならば、イデオロギーという表現と同じように、分析者の偏った一つの見解と見なされる可能性もありえた訳です。人々はあまりにも analysis に新たな素晴らしい作業を見てしまい、その作業結果 analyma の吟味に意識が向かなかったのでしょう。

フッサールノエシスノエマは、まさにブレンターノの意識の指向性から、作成作用とその生成物との対応関係を示した形だったのです。フッサール自身は意図していませんでしたが、結果的に言語使用に関わっている物の見方について、言語学的に見て新たな領域を切り開いていたのです。またノエマについては 「イデア」という 「考え」 や 「知識」 を意味するギリシャ語と同義であり、さらにノエシスと対応させたことで【知識形成作用】と【生成された知識】との関係を明るみにさせた形となり、すべての知識をイデオロギーと見た、イデオロギー形成論の素地を暗示させたものと言えるでしょう。

さてドイツ語圏では、フンボルト(1767-1825)が言語が思考や物の見方へ及ぼす影響について示していました。つまり言葉とは単純に現実を記述する道具ではなく、言葉とは現実の見方を固定化させてしまう文化の所産でもあります。おおよそフッサールの場合は、人々が異なった知識を抱く要因として【意識の指向性】を挙げた訳なのですが、一方でフッサール自身は自覚しなかったとは言え、ノエシスノエマによって、従来まで充分に触れられていなかった知識形成論の素地を示すに限らず、ギリシャ語に潜んでいた [生成作用・生成物] という思考図式も明るみに出したのです。

こうした無自覚ではあったが明るみに出されたフッサール言語学的領域はフンボルトの系統に隣接している訳ですが、比べること、フランス構造主義に多大なる影響を及ぼしたとされるソシュール言語学となりますと、ドイツ語圏の言語学とは様子が異なっているようです。

ソシュール言語学の場合は、簡単に言ってしまえば、言語を中心に考察している傾向にあるように思われます。比べること、フンボルトやその後のドイツ語圏の思想状況の場合には、言語よりは理念やら世界観や思考を中心に考察し、その付随として言語が位置づけられています。つまりドイツでは言語使用をしている人間の存在が拠点となった言語学であるのに比べて、フランスでは言語を拠点とした社会学や心理学などへの応用を目指した言語学なのです。

たとえば、ソシュールは【言語の恣意性】という、それぞれの言語において分類区画表の線引き状況が異なっている点に触れていますが、おおよそドイツ思想となりますと、それはその言語使用状況における世界観や知識形態の現れであって、それぞれ異なった【世界観の多様性】の社会や歴史が拠点とされている訳です。つまり【言語の恣意性】という表現とは、従来の素朴な合理主義の言語状況を批判したに留まったものであり、現実の様々な言語使用状況についての歴史的文化背景が見えてこないのです。ドイツではランケの歴史学ディルタイの世界観学があり、ヴェーバープロテスタント的考え方による資本主義社会への移行を考察し、様々な宗教的理念が歴史的に社会的状況を変化させてきたであろうことを追究しようとする宗教社会学を目指していたのであり、言語使用に【世界観の多様性】を見ていたと言えます。

またラングの社会性とパロールの個人発声の区分けも、[ラング・パロール]分類図式と[社会・個人]分類図式との強引な接合と思われます。ソシュールのラングは、存在論的領域にはなく方法論的前提であり、あくまでもパロール存在論的前提を置いた上で、それぞれのパロールの現実的状況の中に社会的なラングを方法論的に設定するべきだったのです。まさにパロールの場合は言語使用に相当していますが、ラングはの場合はその使用状況から離れた使用規範の抽象化に過ぎません。

ソシュールの[パロール・ラング]とは、おおよそ[身体・精神]に対応接合されたもののように思われる。身体は個人的なもので、精神の相互理解が社会的共有化がなされるのであり、その言語規範(ラング)における社会的共有化が各人の精神に蓄積されているような感じなのである。



ではフッサールの[ノエシスノエマ]とソシュールの[シニフィアンシニフィエ]を比べてみよう。フッサールの用語は知識形成論を構築する解釈図式を準備していますが、ソシュールの用語の場合は、知識が形成された上で社会的に相手へ伝える際の、発声作用と理念内容の関係である。まさにフッサールが問題としていた事柄を、シニフィエの形成にあったと考えておくならば、おおよその二人の物の見方の違いが明らかになろう。

シニフィアンシニフィエとは、現在分詞(能動)と過去分詞(受動)の関係にある。シニフィアンを音声や言語の発信元とするならば、それは人間(能動)と言語(受動)を意味したものであって、話者(能動)と聞き手(受動)という社会的場を問題としている訳ではない。名詞形シーニュである記号を中心として派生した能動と受動であって、歴史や社会よりは言語を中心として考察するソシュール言語学の側面を示している。

ソシュール言語学は、やがてボードリヤールの 「記号の消費」 という、一つのシニフィアン発信にたいして人々が反応する多様化されたシニフィエの受け取りへ向けたラガージュ活動について、生産意識と需要意識が織りなす社会的多様状況の考察へと向かわせた。そうしたラング放射としてのラガージュの社会学は、従来の他者へ伝達するための道具、真実を表現するための道具と言った言語観から、記号的あるいは理念的な社会的振りまきとその社会的影響を与える新たな言語観とした功績はあるが、存在論的な歴史学社会学の地についた拠点を失っている。またヘーゲルの発展的な知識歴史学からフーコー共時的かつ通時的の知識歴史学の基礎となりうる 「知の考古学」 へ影響を及ぼした点も評価できようが、再度マンハイム知識社会学ディルタイの世界観学などのドイツ語圏で浸透した意見の多様性を拠点とした知識論的な解釈図式へ立ち戻る必要があろう。